藤医会 会長 黒田 誠
藤医会会長に就任して
平成27年4月から松山裕宇先生の後任として籐医会第6代会長を拝命致しました。私は昭和47年に当時の名古屋保健衛生大学医学部の1回生として入学致しました。
私は福岡県北九州市小倉北区の出身で、全く縁もゆかりもない豊明の地にやってまいりました。内科の開業医の長男でしたので、医師免許取得後は地元の小倉の医院を継承すべく、北九州へ戻るつもりでおりました。
6年間、藤田啓介先生から直接お声を掛けて頂きながら、豊明での学生生活を満喫致しました。その後に地元に戻るべく北九州に唯一存在していた産業医科大学の内科へ入局すべくご相談に伺いました。
産業医科大学は本学よりも2年後発であり卒業生も出ておらず研修制度もない時代でしたので採用枠が助手(現在の助教)しかなく、とりあえずは、医学博士の学位を取得してから入局して欲しいとの回答を頂きました。
そこで、当初は全く考えていなかった基礎系の大学院に進むことに決めました。入学時からずっとお世話になってきた渡辺裕教授の病理学教室に入学させて頂きました。大学院時代は当時の笠原正男助教授に熱心にご指導を頂き何とか学位を取得させて頂きました。その後はいわゆる御礼奉公を少しだけしてから産業医科大学へ戻る予定でした。しかしながら、丁度、北九州に帰ろうと思っていた時に、藤田啓介先生から「留学して世界を見てきなさい」という天命が下り、米国のフロリダ大学に2年間留学をすることになりました。
米国流の病理診断学をしっかりと学んで帰国しました。そして、それが藤田保健衛生大学病院での病理部門の設立につながり、助教授(現在の准教授)を拝命し、責任者となり日本流の病理診断に米国流の病理診断を取り入れて、アレンジして独自の体系を模索してまいりました。
平成12年には病理部として独立させて頂き教授を拝命致しました。現在は病理診断科として臨床の重要な部門を担当させていただいており、教室員も増えて充実した教室となっております。結局は北九州に戻ることはなく当地に土着致しました。大学の教員を続けながら、学内から同窓会活動に関わってきましたが、今年度末に規定の定年を迎えることから、私学の1回生として私をここまで育てていただいた藤田学園のお役に立てるには同窓会活動が最も適切と判断し、第6代の会長に就任させて頂きました。
藤田学園に入学して以来この学園のありのままを43年間にわたり直視してきましたので、様々な経緯は熟知しております。この経験を生かして、医学部の50周年を藤田啓介先生が建学をされたときに、理想とされていた医学部に成熟させるべく全力をつくしてまいる所存でございます。
副会長を根木浩路先生(6回生)大槻眞嗣先生(11回生)、篠崎仁史先生(15回生)にお願いしてバランスの良い藤医会にしていきたく存じます。卒業生の皆様におかれましては、藤医会の活動にご支援を賜れますようくれぐれも宜しくお願い申し上げます。
私は福岡県北九州市小倉北区の出身で、全く縁もゆかりもない豊明の地にやってまいりました。内科の開業医の長男でしたので、医師免許取得後は地元の小倉の医院を継承すべく、北九州へ戻るつもりでおりました。
6年間、藤田啓介先生から直接お声を掛けて頂きながら、豊明での学生生活を満喫致しました。その後に地元に戻るべく北九州に唯一存在していた産業医科大学の内科へ入局すべくご相談に伺いました。
産業医科大学は本学よりも2年後発であり卒業生も出ておらず研修制度もない時代でしたので採用枠が助手(現在の助教)しかなく、とりあえずは、医学博士の学位を取得してから入局して欲しいとの回答を頂きました。
そこで、当初は全く考えていなかった基礎系の大学院に進むことに決めました。入学時からずっとお世話になってきた渡辺裕教授の病理学教室に入学させて頂きました。大学院時代は当時の笠原正男助教授に熱心にご指導を頂き何とか学位を取得させて頂きました。その後はいわゆる御礼奉公を少しだけしてから産業医科大学へ戻る予定でした。しかしながら、丁度、北九州に帰ろうと思っていた時に、藤田啓介先生から「留学して世界を見てきなさい」という天命が下り、米国のフロリダ大学に2年間留学をすることになりました。
米国流の病理診断学をしっかりと学んで帰国しました。そして、それが藤田保健衛生大学病院での病理部門の設立につながり、助教授(現在の准教授)を拝命し、責任者となり日本流の病理診断に米国流の病理診断を取り入れて、アレンジして独自の体系を模索してまいりました。
平成12年には病理部として独立させて頂き教授を拝命致しました。現在は病理診断科として臨床の重要な部門を担当させていただいており、教室員も増えて充実した教室となっております。結局は北九州に戻ることはなく当地に土着致しました。大学の教員を続けながら、学内から同窓会活動に関わってきましたが、今年度末に規定の定年を迎えることから、私学の1回生として私をここまで育てていただいた藤田学園のお役に立てるには同窓会活動が最も適切と判断し、第6代の会長に就任させて頂きました。
藤田学園に入学して以来この学園のありのままを43年間にわたり直視してきましたので、様々な経緯は熟知しております。この経験を生かして、医学部の50周年を藤田啓介先生が建学をされたときに、理想とされていた医学部に成熟させるべく全力をつくしてまいる所存でございます。
副会長を根木浩路先生(6回生)大槻眞嗣先生(11回生)、篠崎仁史先生(15回生)にお願いしてバランスの良い藤医会にしていきたく存じます。卒業生の皆様におかれましては、藤医会の活動にご支援を賜れますようくれぐれも宜しくお願い申し上げます。
藤医会 会長 黒田 誠
『藤医会の紹介』
藤医会・・・正式名称を藤田医科大学医学部同窓会といい、本学医学部の卒業生(正会員)と在学生(学生会員)により運営されている同窓会組織です。昭和53年、第一回目の卒業生の誕生と同時に創設されましたが、その目的は「会員相互の親睦と交流を図り、母校の発展と医学・医療の振興に貢献すること」にあります。卒業して母校を離れても、すべての会員がいつまでも交流を続けることのできるよう、毎年新しい「会員名簿」を作成して卒業生全員に無料で配布しています。そのほか、年に二回の機関誌の発行や教育/学術講演会の企画・開催などを通じて卒業生や在学生間の情報交換を促進し、それぞれの親睦を深めることにもつとめています。今後は母校への支援活動をより充実させ、さらには社会貢献をも視野に入れた活動を展開してゆく予定です。