医科学研究センター システム医科学の佐藤大気助教らの研究成果が国際学術誌「iScience」に掲載されました
-ヒト型遺伝子変異導入マウスを用いた検証-
本学 医科学研究センター システム医科学の佐藤大気助教、宮川剛教授らは、東北大学大学院生命科学研究科 河田雅圭教授ら、国立精神・神経医療研究センターの井上(上野)由紀子博士ら、東北大学大学院薬学研究科の佐々木拓哉教授らとの共同研究により、神経伝達物質の輸送に関わるVMAT1遺伝子に生じたヒト特有の遺伝的変異が、脳内の遺伝子発現や神経活動、そして行動に及ぼす影響を明らかにしました。同研究グループは、VMAT1遺伝子に生じたヒト特有の遺伝的変異(アミノ酸置換)が自然選択を受けてきたことを明らかにしていましたが、生体内におけるその機能的な意義や作用機序は不明でした。本研究は、VMAT1遺伝子が特に扁桃体を中心とした情動回路を介して不安様行動に作用する機序を明らかにしただけでなく、ごくわずかな遺伝的変化(1アミノ酸置換)がヒトの情動制御に及ぼす影響を明らかにした点で重要な報告であり、私たちの性格や精神疾患のかかりやすさといった精神的な多様性の背後にある分子・神経メカニズムについて示唆を与える研究成果です。本研究結果は、7月20日付でiScience誌(電子版)にpre-proof版が掲載されました。本論文はオープンアクセスで、自由に閲覧可能です。
本研究は、文部科学省科学研究費、新学術領域「個性創発脳」 (17H05934, 19H04892, 20J12055, 17H05939, 19H04897, 17H05967, 19H04922)の支援を受けて行われました。
発表のポイント
- モノアミン神経伝達物質*1の輸送に関わるVMAT1遺伝子の変異は、私たちの性格や個性に影響を与えることが報告されています。
- VMAT1遺伝子に生じた、人類系統特異的な遺伝的変化(アミノ酸置換)は人類の進化過程で自然選択を受けてきたと考えられます。
- 本研究では、ゲノム編集*2によりヒト型の変異を導入した遺伝子改変マウスを作製し、脳内の遺伝子発現や神経活動、行動への影響を網羅的に調べました。
- VMAT1遺伝子のヒト型変異は、特に情動の制御に関わる扁桃体における遺伝子発現や神経活動の変化を介して不安傾向に影響する可能性が示されました。
背景
セロトニンやドーパミンといったモノアミン神経伝達物質は、私たちの認知・情動機能において重要な働きを担っています。その進化的起源は後生動物まで遡るほど古く、関連遺伝子の機能は進化的に強く保存されている一方で、その種内および種間における遺伝的な変異が、社会性や攻撃性、不安やうつといった動物の精神的特性に大きな影響を与えている可能性が報告されています。私たちがこれまでに行った研究により、神経や分泌細胞内で分泌小胞に神経伝達物質を運搬する小胞モノアミントランスポーター1(VMAT1)遺伝子が、人類の進化過程で自然選択を受け、進化してきたことが示唆されました。特に、この遺伝子の136番目のアミノ酸座位では、アスパラギン(Asn)からスレオニン(Thr)へと、人類系統で進化したことが明らかとなっています(図1A)。また、現代人においては、136番目のアミノ酸がイソロイシン(Ile)型の人も一定数おり、Thr型の人に比べて、うつや不安傾向が低いことが報告されています(Vaht et al. 2016)。さらに、先行研究により、136番目の座位がIle型のVMAT1タンパク質は、AsnやThr型に比べ、神経伝達物質の取り込みが多いことが明らかとなっています(Lohoff et al. 2014; Sato et al. 2019)。こうした背景から、VMAT1遺伝子に生じたヒト特有の変異は神経伝達物質を介したシグナル伝達に影響し、ヒトの精神的特性の進化に寄与した可能性があります。一方で、この人類特有の変異が私たちの脳内でどのように機能し、行動に影響を与えているのかは不明でした。
研究成果
そこで本研究では、ゲノム編集という技術を用いて136番目のアミノ酸座位をヒト型(ThrあるいはIle)に置換したVmat1遺伝子編集マウスを作製し、脳内の遺伝子発現や神経活動、そして行動を遺伝子型間で比較しました。その結果、特に情動の制御に関わる扁桃体という脳領域において、対照群である野生型(Asn)マウスとIle型マウスの間で、下流のシグナル経路に関わる遺伝子発現や神経活動の変化、さらに不安様傾向といった行動の変化が見られました(図1B)。中枢神経系におけるVMAT1遺伝子の機能的役割は不明な点が多く、本研究はその解明に向けた足がかりとなると考えられます。また、ゲノム編集技術を用いて、人類の進化過程で自然選択を受けたと考えられる単一アミノ酸置換の効果を検証した例はほとんどなく、今後の進化学研究における一つの方向性を示す点で重要な研究成果です。本研究成果は、認知や情動機能に関わる神経伝達物質の調節機構に生じた人類特有の進化が脳や行動に及ぼす影響を明らかにしており、不安やうつといった精神・神経疾患の発症メカニズムや進化的意義について示唆を与えると期待されます。用語説明
*1 モノアミン神経伝達物質
アミノ基を一個だけ含む神経伝達物質の総称であり、セロトニン、ノルアドレナリン、アドレナリン、ヒスタミン、ドーパミンなどが含まれる。そのうち、VMAT1はヒスタミン以外を輸送し、特にセロトニンの輸送効率が高いことが知られている。*2 ゲノム編集
生物のゲノム中にある標的配列を正確に狙って改変する技術。2012年に発表されたCRISPR/Cas9システムは、標的配列と相補的なガイドRNAとハサミの役割を持つCas9ヌクレアーゼからなり、その利便性と汎用性から多くの研究で使用されるようになった。
引用文献
Lohoff et al., 2014. Functional genetic variants in the vesicular monoamine transporter 1 modulate emotion processing. Mol. Psychiatry 19, 129–139.
Sato et al., 2019. Human-specific mutations in VMAT1 confer functional changes and multi-directional evolution in the regulation of monoamine circuits. BMC Evol. Biol. 19, 220.
Vaht et al., 2016. A functional vesicular monoamine transporter 1 (VMAT1) gene variant is associated with affect and the prevalence of anxiety, affective, and alcohol use disorders in a longitudinal population-representative birth cohort study. Int. J. Neuropsychopharmacol. 19, 1–9.
図1. 本研究の概要。人類系統特異的に進化したVMAT1遺伝子の変異が脳内遺伝子発現、神経活動、および行動にもたらす影響を網羅的な解析によって明らかにした。
論文タイトル・発表雑誌
論文タイトル
Humanized substitutions of Vmat1 in mice alter amygdala-dependent behaviors associated with the evolution of anxiety
著者
佐藤大気*, 井上(上野)由紀子*, 久我奈穂子, 服部聡子, 野元謙作, 森本由起, Giovanni Sala, 萩原英雄, 菊水健史, 佐々木拓哉, 池谷裕二, 宮川剛, 井上高良, 河田雅圭 (*共同筆頭著者)
雑誌
iScience