髙橋 和男 先生(2000年卒業)
医学への広い興味と探求心で、
医師を目指す皆さんを導きたい
島 さゆり 先生(2006年卒業)
患者さんの笑顔を少しでも多く
見たいという気持ちで臨みたい
松村 和泰 先生(2017年卒業)
日々新たに学ぶ技術・知識を重ねて、
専門医を目指したい
藤井 真理 先生(2019年卒業)
患者さんとご家族の人生を見据えた
治療ができる上級医をお手本に
藤田医科大学病院で研修医としてさまざまな診療科をローテートしながら、日々変化する患者さんの病態を指導医の先生と検討して必要な治療を考えています。“一歩先を読んだ行動を考えなさい”という指導医の言葉を忘れず、またその重要性を実感しています。研修医として大切にしていることは、患者さんの病態を把握して指導医に相談し、経験を積み重ねることです。「あなたに診ていただけて良かった」と患者さんの退院時にお声をかけていただいたときは、嬉しさとともに、もっと勉強しなければと感じます。藤田での学生時代の私を覚えてくださっている先生方が多く、研修を親身にサポートしてくださることは大きな強みです。
佐々木 ひと美 先生(1993年卒業)
大学で学んだ患者さん第一の姿勢が、
今の診療活動に生かされている
国際医療センター副センター長として、海外の方の診療やグローバルビジョンを持った医師の育成などを行っています。また、腎泌尿器外科医として、腎移植や小児、女性泌尿器科疾患など、良性疾患を網羅的に診察・治療しています。毎日多くの患者さんを診療し、新しい技術や手術方法の勉強も行う日々はとても多忙ですが、やりがいも多く感じます。例えば子どもの頃に診た患者さんが成長し、結婚式に呼んでくれたり、帰国した患者さんが友人を連れて再訪してくれたりと、医師と患者さんの域を越えて信頼関係を築けたときは、心から喜びを感じます。これも学生、研修医時代に患者さんの立場で治療することを先輩、上司から学んだからだと思います。この気持ちを持ち続ければどんなに忙しくても頑張れます。
山田 法顕 先生(2005年卒業)
1 秒を争う救急の現場。
求められるチームワークに藤田で得た力が生かされる
救命救急センターで、ERでの初期診療やドクターヘリでの病院前診療、ICUでの集中治療など、救急・集中治療の幅広い領域に携わっ ています。また、岐阜大学医学部附属病院高次救命治療センター、ドクターヘリ部門の責任者として、より効果的なドクターヘリ運航にも注力しています。救急・集中治療の現場では1 分1 秒を争うため、各科専門医と連携した迅速な対応が不可欠です。藤田保健衛生大学時代に学友会や学園祭の活動に参加し、他の職種の方々と協力関係を結び、チームワーク力を磨いた経験が、現場でとても役立っています。学生時代から共に頑張ってきた仲間が同じ医療職として現場にいることも、より良いチームワークを発揮できる大きな理由です。
猿田 真庸 先生(2015年卒業)
PBLなどで学んだチームによる問題解決で
患者さんに最善の医療を提供
私が腎泌尿器外科を選んだのは、検査から診断、治療まで一貫して患者さんを診ることができ、さまざまな手術を経験できるからです。実際、悪性腫瘍をはじめ、良性疾患でも、患者さんの負担が少ないことからロボット支援手術や腹腔鏡手術、経尿道的手術などの手術に携わっています。疾患の種類や、患者さんに提供できる医療の幅が広いので、手術や外来で諸検査を行う際は、常に最善の方法を選べるように、他の医師や医療関係者と相談しながら進めています。臨床やチーム医療などの基本は、藤田保健衛生大学で全て学びました。 例えば、実際の臨床に即して問題解決に取り組んだPBLは、今の臨床に生きています。助手としてまだまだ学ぶことはあるのですが、元気に退院されていく患者さんの姿を励みに、今後も研鑽を続けます。
廣地 真理子 先生(2016年卒業)
指導医や先輩の親身なサポートの下、
優れた医師を目指し成長する
現在は、研修医としてさまざまな診療科を経験しながら病態や治療法を学んでいます。一般的な病気から稀な疾患まで幅広く病態 を学べ、各科で最先端の治療法に触れられる環境は、とても恵まれていると感じます。研修医として2 年目を迎え、主訴や身体・検 査所見から病態や鑑別疾患を考えられるようになりました。先輩の先生方と、患者さんの治療法についてディスカッションすることも、たいへん勉強になります。また、藤田医科大学病院にも、先生や先輩が親身になって教えてくださる藤田医科大学と共通した風土 があり、学びをサポートしてもらえる環境です。今後も上級医の先生の下で研鑽を重ね、藤田医科大学病院の一員として優れた医師を目指したいです。
吉川 哲史 先生(1986年卒業)
大学時代からのつながりが
医療の現場で役立っている。
本学大学病院での初期研修終了後、2年半の米国食品医薬品局(FDA)での留学生活、帰国後の名古屋大学ウイルス学教室での研究生活を通じ、多くの友人と出会い貴重な経験ができたことが今につながっていると思います。私は子どもの病気の治療をしていますが、彼ら彼女らの笑顔、ご両親の笑顔が仕事の支えになっています。ベッドサイドでの疑問点を研究室での実験で解き明かし、その成果を治療に生かしていく。それが理想の医師像と考えています。在学中はサッカー部に所属。どんな練習をすれば強くなれるのか試行錯誤したことや、医学部の同級生、先輩だけでなく、医療科学部の仲間とも密接なつながりがあることが、現在、大学病院で仕事をするうえでも非常に役立っていると思います。
篠﨑 仁史 先生(1992年卒業)
本学卒業生としての誇りが
すべての礎になっている。
本学卒業後、藤田保健衛生大学病院で研修を終えた後に、本学大学院医学研究科に進学。修了後、名古屋記念病院で地域救急医療に従事した後、父の後を継ぎました。現在は管理業務や日常診療のほか、職員や実習生の教育も重視して取り組んでいます。こうした業務や人間関係の礎にあるのは、学生時代に学んだチームワークと本学卒業生としての誇り。母校に自信を持てることが本学最大の魅力だと思います。患者さんやご家族、職員など一人でも多くの方に喜んでいただきたい。その想いが医療人として、人間としての根幹にあり、周囲の方々の笑顔が仕事のやりがいになっています。
矢上 晶子 先生(1996年卒業)
輝く医師になるために出会いと経験を大切に。
5年次の臨床実習で恩師と出会い、卒業後、本学皮膚科学講座に入局。研修医、大学院を経て、国立成育医療研究センター免疫アレルギー研究部で基礎の免疫学を学びました。その後、総合アレルギー科の開設にともない、坂文種報德會病院へ。アレルギーは原因や治療法において不明点がたくさんあり、多くの患者さんや国内外の先生方とともに“同じ時代を歩んでいる”と感じながら診療や研究ができることにやりがいを感じます。在学中に得た先輩方や同級生、後輩とのつながりは財産であり、年々、人脈の輪が広がっています。ぜひ、皆さんも自ら前に出て、出会いと経験を重ねてください。それらは魅力的な医師として輝く礎になると思います。
田原 沙佑美 先生(2014年卒業)
自分の選択に責任を持ち
病理医として貢献したい
地域の人々の健康増進に重きを置く病院で、研修医として各科の診療や検査、救急医療などの業務を経験。将来の選択肢を広げつつも病理に興味があったので、各科を回りながら標本が出たら病理に顔を出し、病理医の立場にもふれる日々を過ごしてきました。そして研修を終え、改めて病理の道に進みたいと実感。藤田保健衛生大学病院の病理部に就業することを決意しました。今後は業務内容を一から学ばなければならず、つらいことも数多くあると思いますが、学生時代に養った壁に直面した時のメンタルコントロール、目標に対する姿勢を生かし、自分の選択に責任を持って努力したいと思います。
石原 慎 先生(1991年卒業)
日本ならではの医学教育で
優れた医師を育てていく
母校に貢献したいと考え、臨床研修も博士号取得も母校で。大学病院では一般外科疾患と胆道・膵臓疾患の外科治療を、医学部では外科学の講義や臨床実習指導を担ってきました。現在は臨床医学総論の教授として、主にシミュレーターを用いた基本的診療技能や医師としてのプロフェッショナリズム教育を担当。大学病院では臨床研修センター長として研修医の管理・指導に携わっています。後輩たちが立派な医師になった姿を見るのはうれしく、患者さんの病気の治療をしてもらった時は、特に感慨深いです。日本の文化・生活に基づいた医学教育を構築・実践し、どこにも負けない医師を養成したいと思います。
長谷川 みどり 先生(1986年卒業)
今後も学生や臨床医の
育成に力を注ぎたい
本学卒業後、名古屋市の社会保険中京病院での卒後臨床研修を経て、本学大学院へ。修了後、医学部腎内科学にて勤務しています。臨床面では慢性腎臓病や急性腎障害、血液浄化療法を必要とする患者さん、全身性疾患により腎臓が悪くなった患者さんなどの治療にあたり、病状が改善されたり、落ち着いたりしたときは、とてもやりがいを感じます。ときには医療の限界に直面し、自分の無力さを痛感することもありますが、そうした患者さんの病状を少しでも改善できるよう、臨床研究にも取り組んでいます。教育面では医学部生の指導のほか、臨床研修実務委員として研修医の教育にも従事。今後も学生や臨床医の育成に力を入れていきたいと思っています。