看護師
INTERVIEWvol.013
チームをつなぎ、患者さんを救う“かけ橋”に
齋藤 祐也YUYA SAITO
藤田医科大学病院 救急外来勤務
看護学科 / 2016年卒業
- 取材日
DESCRIPTION
藤田医科大学病院高度救命救急センターは、国内でもトップクラスの年間約1万件の救急搬送を受け入れている。高度救命救急センターは愛知県内で2カ所しかないため、他の病院では診られない重篤者が運ばれてくることも多い。看護師として7年。齋藤さんは、入職と同時にこの現場に立つことを志願した。救急外来の看護師として、ある時にはドクターカーで現場に駆け付け、ある時は愛する人を亡くした家族の背中をさすり続ける。 取材したこの日、高度救命救急センターは、少し落ち着いている様子だった。「これ、撮影の邪魔になりそうなので、動かしますね」。取材スタッフを気遣いながら、先回り先回りをして動く齋藤さん。看護師という職業柄もあるのかもしれないが、とにかくよく気がつく。 インタビューを始めようとした矢先、館内放送でコードブルーがコールされた。コードブルーとは、病院内で患者さんが倒れたり、緊急事態が起こった際などに発せられるもので、救急スタッフが現場に急行する。齋藤さんはすぐさま立ち上がり、「すみません」と頭を下げて駆けて行った。その後ろ姿からは、最前線で命を守っている使命感と誇りが伝わってきた。
自分で線路を敷き、目標に向かって突き進んでいく
─まずは現在のお仕事について教えてください。
高度救命救急センターの救急外来(ER)で看護業務全般を担当しています。脳卒中や交通事故、場合によっては蘇生が必要なこともあり、疾患も重症度も患者さんによって全く異なるので、それに合わせた検査の準備や処置の介助、他職種との調整、ご家族のケアなど、業務は多岐にわたります。加えて、薬剤や物品の在庫管理・品質管理も看護師の大切な仕事です。「今から用意してきます」とか「使えるか確認します」なんて言っている時間はないので、自分自身が使えるようにトレーニングしておくことはもちろんのこと、いつでもどこでも誰でもすぐに扱えるように準備しておくことは欠かせません。「待てない」という現場がそこにはあるので…。
─齋藤さんはドクターカーナースもやられているとか。
はい。入職当初から救急外来への配属とドクターカーへの乗車を志願していたこともあり、GICU(総合集中治療室)での勤務を経て、2年目の冬ごろに救急外来へ異動になりました。それから約1年後の3年目の冬前ぐらいからドクターカーナースとして出動しています。
─3年目で、というのはレアケースのようにも思いますが。
確かに3年目でドクターカーに乗るのはあまり例がないそうですが、前へ進んで行けるようにまずは自分で線路を敷いてしっかり準備を進め、研修会や勉強会にも積極的に参加しました。その結果、認めてもらえたという感じです。藤田医科大学病院は、教育体制も整っているし、やる気があればみんなが支援してくれる風土が根付いているので、そういうことも背中を押してくれましたね。
─ちなみにドクターカーと救急車の違いは何ですか?
救急車の場合は、患者さんを迎えに行って病院へ搬送しますよね。それに対してドクターカーは、生命の危険に関わると判断した場合に、医師や看護師らが車に乗り込んで現場で処置を施します。外なので機材もないし、限られた人数で救命するわけですから、瞬時の判断と臨機応変な対応が大事になってきます。
─なるほど。初めて乗った時はどういう心境でしたか?
最初は先輩看護師に同乗したのですが、先輩についていくのが精一杯でほとんど何もできかったですね。それからしばらくして独り立ちした時は、不安はありましたが、先輩に助けてもらうことはできないし、「やるしかない!」って無我夢中でしたね。
─そもそも救急という厳しい現場を志願されたのはどうしてですか?
ここは大学病院なのでいろいろな部署があります。実習の時から、自分にはどこの部署が合うのか、看護師としても人としても成長でき、心にグッとくるのは何なのかってずっと考えていました。その中で、1分1秒を争う厳しい現場で患者さんに手を差し伸べられる救急医療に魅力を感じました。
─プレッシャーはないですか?
もちろん、常にあります。救急外来に来た当初は、自分の知識や技量が未熟で、「もっと早く気づいていれば、もっとコミュニケーションがとれていたら、患者さんを助けられたかもしれない」と後悔することも多々ありました。でもそういう糧があったからこそ、成長できたのかもしれないですね。
─救急の場合、ご家族が取り乱していることも多いですよね。
確かにそうですね。僕自身も最近は、ご家族の方や残された方に、もっと視点を向けなければならないのかなって考えています。だから他のスタッフが患者さんを看ている時は、まずはご家族へ声を掛けにいくようにしています。ご家族から得られる情報っていうのは治療方針を決める時にも役立ちますし、僕が寄り添うことで少しでも落ち着いていただけたらというのもあります。
大学病院への就職を見据えて藤田医科大学を受験
─昔から看護師になろうと決めていたんでしょうか?
それが、まったく(笑)。とりあえず大学へ進学するとなった時に、工業系なのか総合大学なのか、どうしようかなって。ちょうど2つ上の姉が本学のリハビリテーション学科に在籍していたので、医療系も見てみるかっていう軽い気持ちで本学のオープンキャンパスに参加しました。
─救急を志望された意思の強さといい、子どもの頃から看護師一直線なのかと思っていました(笑)。
オープンキャンパスでひと通りの学科を見て、自分には看護師が向いているのかな、と真剣に考えるようになりました。もともと人と接するのが好きですし、患者さんのそばに寄り添い、自分のやったことが直に患者さんに影響を与えるという意味で、やりがいがある職業だなって。 思い描いていた“人と関わることができ、社会の役に立つ仕事”という枠にピタッとはまった感じですね。
─それで藤田医科大学の看護学科へ進学を?
当時は、こんなに多職種の専攻科がある医療系大学って他になかったし、敷地内に病床数日本一の大学病院があることも大きかったですね。それに藤田医科大学病院のことを調べた時も「日本一」という項目が多かったので、レベルの高い医療を学べるんだろうなって。学びの環境で、そのまま実習もでき、なおかつ看護師としてどこに就職したいのかと考えた時に、日本一の藤田医科大学病院がいい、じゃあ藤田医科大学に進学しよう、って線がつながりました。
─就職までを視野に入れての進学だったんですね。実際に入学してどうでしたか?
本学特有のアセンブリ教育を通じて他学科の学生や多職種と関われるのは、チーム医療を実践する上で非常に役に立ちました!それと先生からの支援が手厚い。
─そうなんですね。先生が熱心というのはよく卒業生の方から聞きます。
実は、大学に入学する時も僕が看護師になることを父親はあまり認めてくれてなかったんですよ。男性看護師が増えてきたといっても、女性の仕事っていう世間的なイメージがあって、「お前はその中でやっていけるのか。将来、歳をとっても看護師としてやり続けられるのか」って。とりあえず入学は許してもらえたんですけど、父親の中ではずっと心配や葛藤があったようなんです。これは卒業する時に聞いた話なんですけど、僕が大学2年生の頃に担当教員と父親が面談する機会があり、「今は男性看護師もいろいろなキャリアアップが選べるし、現場でも輝いていますよ」って将来について先生が父親に熱弁してくれたらしいんですよ。その言葉で父親も納得してくれ、今ではすごく応援してくれています。
─とてもいい話ですね。確かに10年前と比べて、男性看護師に対する認知度は変わりましたよね。
僕たちの頃は学年に7人ぐらいでしたけど、年々増えて、今では本学の看護学生の1割以上が男性らしいですよ。藤田医科大学病院にも男性看護師がたくさんいますし、さまざまな部門で活躍していますね。
─大学時代にとくに心に残っている授業ってありますか?
看護学科では、現場の看護師さんによる授業があって、とくに救急の看護師さんたちの話は今でも覚えていますね。プライベートで出かけている時に目の前の人が心肺停止になり、急遽対応した話とか。学生ながらに「すごい…」って思いました。
─実習はどうでしたか?
実習は全般的にすごく楽しくて、「やっぱり自分は人と接するのが好きなんだな」ってつくづく実感しました。とくに楽しかった実習は、母性看護学でしょうか。男性看護師は婦人科での看護はできないし、助産師にもなれません。男性看護師にとって母性看護学は学生の時しか学べないことなので、深く印象に残っています。今、自分が家庭を持ち、子どもが生まれた時には「あの時に学んだあれだ!」って記憶が蘇ってくることもありますね。
─部活動なんかもやっていたんですか?
中学の時にバレーボールをやっていて、看護学科の男子学生にも経験者が多かったので、じゃあみんなでやろうかってことで、同期4、5人でバレーボール部に入りました。
─齋藤さんはテキパキしていて、頼れるリーダー的存在な感じがします。
自分でもそういうことが嫌いではないので、部活でも、学科内でもリーダーとか指揮役をやることは多かったですね。大学4年生の時に、信頼する男性の看護教授に「お前に任せとけば大丈夫だな」って言ってもらえた時は、本当にうれしかったです。
─就職という面ではどうでしたか?
僕は藤田医科大学病院への就職を希望していたので、本学へ入学して良かったですね。藤田医科大学病院で看護師をしていた教員が多いので、就職時の疑問や不安、例えば「給料は?」「休みは?」「先輩は怖い?(笑)」っていうことも直に聞けるし、それらを明らかにしてもらった上で僕自身、ここに就職したいって思えましたから。就職説明会に行けばある程度は分かるんでしょうけど、実際に自分の目で見て、耳で聴くと将来像がイメージしやすいですね。
患者さんやご家族に対し何ができるのかを自分自身に問いかけながら
─受験生や看護師をめざす人にアドバイスをいただけますか。
今の医療はチームで進めていくので、他の職種の業務だったり、知識・技術、いろいろなことに対して知ろうとする努力が必要です。常にアンテナを張っておくことが大切だと実感しています。学生のうちからそういう意識や能力を養っておくと就職してから楽だと思いますよ。
─チーム医療の一員として心掛けていることは?
救急の現場で痛感するのは、ひとりでできることは限られているということです。良好なコミュニケーションは、患者さんが急変した時の対応に直結します。とくに顔が見えない電話での対応には気を付けています。こっちも緊急だけど相手も忙しいかもしれない。ちょっとしたことなんですけど、自分の場合は、感謝の言葉だったり、「折り返しの連絡は必要ないので」の一言を添えたりして、相手の状況を想像し、理解することを心掛けています。
─この仕事のやりがいって何ですか?
今の話と重なるんですけど、看護師が専門職の間をつなぐ“かけ橋”になれることですね。チーム一丸で蘇生処置を行い、一命をとりとめ、集中治療に引き継ぐことができた時は、うれしいですし、やりがいになります。
─そんな齋藤さんの看護観を教えてください。
救急外来っていろんな職種が同時に動くので、どうしても検査と治療に目がいきがちで、ベッドサイドケアがなかなか見えづらいんです。その中で看護師としての存在意義、「あなたは看護師として患者さんやご家族に何ができますか? 今日、どんな看護をしましたか?」ということを自分自身に問いかけ、後輩にも常に伝えるようにしています。
─次のめざす道はもう決めているんでしょうか?
看護師になって最初の頃は、特定行為だったり認定看護師だったり、救急の技術的なキャリアアップをめざそうと考えていました。でも、現場で経験を重ねる中で、患者さんが亡くなられた時のご家族のケアや、患者さんに対する理解など、基盤となる看護学をもっと深く学びたいと思うようになりました。
─研究職ということですか?
考えているのは、大学院への進学ですね。まだ現場が好きなので、現場をやりながら看護学を究めていけたらと思っています。そのための勉強も始めていますし、近々、受験しようかなと。
─書いてもいいですか?
うーん、いいかな…。有言実行ですね(笑)。
〈後日談〉
インタビューから半年ほど経ったころ、齋藤さんから取材スタッフのもとに「大学院に合格しました!」とのうれしい知らせが届きました。今後は、これまで同様に救急外来で活動しつつ、藤田医科大学大学院の学生として看護学を極めていくそうです。
私の相棒
家族
看護師になって2年目の終わりに保育士の妻と結婚し、2人の男の子を授かりました。まだ3歳と1歳なので、毎日、暴れ回ってます(笑)。勤務が忙しかったり、辛いことがあったりしても、子どもの顔を見れば疲れも吹き飛びますね。上の子は僕がドクターカーに乗っていることを知っているので、街で救急車を見ると「パパのおしごとー」って言ってくれるんですよ。僕の仕事をかっこいいと思ってもらえていることがうれしいですね。
きりっと引き締まった表情から一変、家族の話になるととたんに目尻が下がり、優しいパパの顔を見せた齋藤さん。「僕が看護師として健康に最高のパフォーマンスができているのは家族のおかげですね」。休憩中には、スマホに入っている家族の写真を眺めては、元気をもらっているそう。
オンオフを上手に切り替え、心身のコンディションを整えておくことはいい仕事につながる。「大変な時こそ、冷静に、笑顔で」。そう言って握りしめたスマホの画面には、笑顔いっぱいの家族写真が映っていた。