小児外科を志す研修医・学生の方へ
医学生と研修医に伝えたいこと
平成21年2月16日 藤田保健衛生大学 小児外科前教授:橋本 俊
I.医学部に入学して
1.医学部は専門学校
医学部入学したら「医者」にしかなれないと考えて下さい。他の学部なら異なった道も選べるし、教員資格もとれる可能性があります。だけど医学部は6年も学生生活を送るのに、その先には限りなく「医者になる」以外に道はないのです。医学部は医学専門学校と言っても過言ではないと思います。その学生生活に入った一年生の君たちは、職業訓練の出発点にたっている事を自覚して下さい。
2.医療は阿漕*な商売
職業として医療を考えてみて下さい。医療では弱った人、悩む人、怪我した人、死にそうな人からお金をもらう仕事です。人の弱みにつけ込むようでもある「阿漕な商売」とも考えられます。だからこそ単純に数学や英語などの勉強ができるだけではいけないことを心して下さい。
*《禁漁地である阿漕ヶ浦で、ある漁師がたびたび密漁をして捕らえられたという伝説から》しつこく、ずうずうしいこと。義理人情に欠けあくどいこと。特に、無慈悲に金品をむさぼること。また、そのさま。
*《禁漁地である阿漕ヶ浦で、ある漁師がたびたび密漁をして捕らえられたという伝説から》しつこく、ずうずうしいこと。義理人情に欠けあくどいこと。特に、無慈悲に金品をむさぼること。また、そのさま。
3.医療はサービス業
患者さんやその家族に年齢の枠はありません。我々はいろんなジェネレーション、職業などそれぞれ価値観の異なった人たちを相手に仕事をしなければなりません。そこで価値観の多様性に直面することになります。仕事の場での言葉遣い、服装の趣味、髪の色、お化粧すべてに注意する必要があります。6年間かけて自分が社会的に最も受け入れられやすい在り方を身につける必要があります。如何に医学知識があっても如何に医療技術が優れても患者さんが来てくれなければ実力を発揮する場がありません。
4.医療現場のリーダー
医療の現場をよく見て下さい。医療は医師独りだけでは決してできないことを知って下さい。必ず、患者さんが訪れる受付の事務、診察時には各種のコメデイカル、医療費の計算には医事の事務、働く部屋の掃除など、共に働いてもらう人がいる事を忘れてはいけません。ここにも職種が異なることによる価値観の多様性があるはずです。しかし共に働くみんなが共通して相手にするのは「患者さん」であり、その意味で目的は同じでなければならないはずです。いや同じに方向付ける努力をすることが医療チームのリーダーの資質ではないでしょうか。どこでも仲間に尊敬されないリーダーはリーダーとは言えないものです。そんな観点からも自らの人格をみなおして6年かけて形成しようではありませんか。
II.医学の勉強
医学部に入学したら一般教養と専門分野の講義があります。日本の医学部は基本的には2年間の一般教養を習得する短大部分と4年間の医学専門部門の2階建てになっていると思って間違いはありません。だからMD(Medical Doctor)ではなくMB(Medical Bachelor)が正しい称号といえます。米国でのMDとは一般の大学理系学部を卒業して4年間の医学部を卒業した資格になりますので本質的には異なるとも考えられます。いわゆる学士入学の学生さんに最初のカリキュラムが物足らないのはこんなところに原因もあります。とはいえ医学部に入った以上、医学研究者になるという人以外はみんな「病気の患者さんを治療したい」「病気を予防したい」と「病気」を専門的に知ることを目的に勉強する必要と責任があります。しかし、図書館に行って医学書を見て下さい。驚きませんかその山のような本の量に!これを理解するためには高校までの勉強の方法というか、スタンスではきっと息が切れてしまいますし、何よりも面白くなくなってしまいます。「面白い」という言葉は漫画の本や「おわらい」が「面白い」と言うのではありません。学問には「興味を持って学ぶ姿勢」が必要であると言いたいのです。
1.医学は自然科学
医学の勉強をしようと思っても決して暗記してみようなどと思わないで下さい。ものすごく多い教科書の量をみて「記憶できる」と考えるのは「無神経」です。もし全て記憶ができるようなら、きっと今まで苦労はしていません。また「医学は自然科学」だから答えは鮮明ではないことが多く、価値観の多様性と言うことを言いましたが、人は皆同じように生きていますが「同じよう」と言うところが問題で、全く同じと言うことはなく、自然科学での計算は「1+1は2に近いが2ではない」ということが正解です。だからこそ統計学が必要で「面白い」と思います。でも多くの自然現象は論理的に説明できる可能性を秘めています。教科書ではなく自分で説明したいと考えるとできるものです。医学に関することは、どんなことにも「興味」をもって見て下さい。そして自分で論理的に説明できるようにして下さい。「疑問のないところに知識は生まれない」「なぜ」と思って自分で調べて、わからないところは「聞いてみる」ことが必要です。医学の答えは一つではなく2つのこともありますが、答えそのものを求めることよりも、その答えを求めるに要したプロセスが重要なことが多いものです。
2.医療(診療)の常識、医学(研究)の非常識
ここでもう一つ医学を勉強する上で基本的な考え方をお伝えします。安全性が重要視される診療(医療)では最も常識的な考え方をすることが必要で、診察する際にはその症状の、その検査結果で考えられる最も多い疾患を最初に考えられることが大切です。従って、治療に際しても最も一般的な治療が第一選択とできる考え方をする事ができるべきなのです。つまり、こんな病気も考えられるとしていきなり特殊な疾患を考えてしまったり、特殊な治療を最初に適応したりすることは危険と考えられるのです。だから、国家試験でも同じですが「適切なものはどれか?」の質問では「もっとも適切なもの」なのです。文献や教科書には特殊なケースも記載してはあります。だからといってそれを正解にする考え方は不適切と言えましょう。まず、最も一般的、最も多いものを考えられるようにして下さい。しかし、医学研究では全く正反対であるべきではないでしょうか?他人が考えることと同じ事を考えても新知見は生まれないものです。教科書を否定してかかることも研究では「是」です。皆さんの新発見、発明、工夫に期待します。
3.講義では教科書を利用しよう
さて、医学部の講義になると一般に多くの講師がスライドを使って沢山のレジメを用意して配付します。まじめに聞いている学生さんはきっと問題はないのでしょうが、出席だけとって途中で退出してしまう学生さん、机に突っ伏して寝てしまっている学生さんにはこの「レジメが命綱」なのでしょう。でも、ちょっと待って下さい。どうして退出してしまうのでしょうか?どうして眠ってしまいますか?「講義がつまらない」「何を言っているのか?解らない」「スライドばかりで暗くなるから」いろんな意見がありますが、これらはみんな自分にとって都合が悪いことを「他人のせいにしている」意見と思えます。大学は「教えられる」というより「学ぶ」ところではないでしょうか、前項でも説明しましたように医学の内容は大変なボリュームです。とても各領域を講義の時間だけで説明しきれる物ではありません。多い講義でも内容は教科書に書いてある事ばかりのはず、教科書を持って、聞いて、教科書に書き込み、マークをしてみるとより理解しやすいはずです。理解しにくいときは疑問を持ったその場で質問しましょう。試験前になって慌てることも無くなると思います。
7.「病」とは?説明できるだろうか
医学部に入学した学生さんの目的の大部分は「病気を治療する」ということと思います。だから医学部では「病気とは何?」と説明できるように勉強しようと考えなければいけません。病気には必ず病気になる身体の解剖学的な部位があります。そしてその部位を傷害する原因があり、その傷害により解剖学的、生理学的、生化学的な機能の障害を来すことになります。ここに出てきた学問は全て基礎医学で学ぶ項目です。つまり基礎医学では私たち人間がこの地球上で「生きている」、あるいは「生きられる」状態を知ることが目的になっていると言っても過言ではありません。正常な生命活動を理解しなければ異常は理解できないことを心して下さい。
8.ヒトはどうして生きられるか
ここでおわかりのように最初に勉強する解剖学で知るのは自分の体の構造です。どんな構造で自分は生きているのか考え、勉強して下さい。解剖学の教科書は自分自身です。解剖学に書いてあるモノは全て自分自身にありますよ。解剖学では各部位の機能を知ることになるはずです。もっと言えば「なぜ」鼻がそこにあり、そんな形をしているのかまで考えてみて下さい。テニスでラケットを振ったときどの筋肉が最も働くのか考えてみましょう。それぞれの筋肉の機能がわかります。そしたら筋肉が収縮するには何が起こるかを知りたくなります。「生理学」「生化学」のおでましです。それぞれの基礎教科ではヒトがどうやって生きている(生命活動をしている)のか知って下さい。我々の体はこの地球で誕生しました。構成している原子の大部分は地球に多いモノばかりです。微量元素もありますが水素、酸素、窒素、炭素でできています。どうして生きていると温かい?体を動かしているのは酵素だからです。酵素には至適温度があり、我々の体はそのために体温を生成して維持しなければなりません。温度の産生には熱量が必要です。だから食べなければいけません。でも熱量だけでは熱は産生されません。必要なモノは酸素です。酸素によって熱源(栄養素)が燃焼、熱が産生されます。だから生きているヒトは食べたいと欲し、呼吸をするのです。このためのメカニズムが我々の体には整っています。それを解剖で知ることになるのですが、大変複雑でわかりにくいのも事実です。そこで私たちの体の仕組みを前述の事項を基礎として理解するために次の提案に移ります。
9.発生と機能を重視した解剖学
ヒトに限りませんがほ乳類はすべからく三胚葉から形成されています。外から外胚葉ectoderm、中胚葉mesoderm、内胚葉endodermです。ではこれら胚葉からそれぞれどんな器管が発生してくるのか考えましょう。普通に考えれば一番外側にあるのは医学生ならずとも知っている皮膚です。では皮膚の機能は何か考えて下さい。大抵の人は「体の保護」なんて答えます。もちろん間違いではありませんが、それも含め重要な機能は前の項で書いた体温と関係あります。皮膚は実に巧みな機能で我々の体温を維持しているのです。ここで物理学?の質問です。部屋の中を定温に保つために必要な機器はどんなものが必要と思いますか? まずはヒーターですね、次にクーラーです。でも最も大切な機器は温度センサーではないでしょうか?皮膚はこの中のクーラーとしての機能もありますが、センサーとしての機能が優れた器管です。外界の温度を関知してくれるわけです。寒いと感じたら服を着るでしょう。暑いと汗が出ます。微妙なファジーさを持ちながら優れたセンサー効果を示してくれます。その感覚は温度だけではありません。さわって物の形や固さが解ります。つまり「触覚」があり、知覚神経の分布が明らかになります。ここでわかると思いますがEctodermから発生した皮膚(一般には「表皮epidermisが外胚葉から発生」と記載されています)は「感覚器sense organs」と言うことができるのです。感覚と言えば「五感」です。あえて記載しませんがこの五感を司る器管が外胚葉から発生するわけです。外胚葉は感覚器系に分化していると考えて下さい。その機能はヒトが生存するために必要な栄養素(食べ物)を「見つけ」、「味わう」ためにあり、外的から身を守るための情報をうる事(見たり、聴いたり)のためにあるわけです。
次は中胚葉です。考えて下さい。食べ物や水を見つけても口まで持ってこないと摂取できません。そのための機能が必要になる事が解るはずです。そうです。食物を口に運ぶために「手」を使い、口の中では「咀嚼」することになります。また、食べ物のあるところまで行くために「足」を使うことになります。もちろん敵から身を守るためには逃げなければなりませんね!摂取した食物(栄養素)のエネルギーを熱に変えるために不可欠な酸素を取り込むためには「呼吸」をする必要があります。すなわち、これらの「運動」を可能とするための構造が必要になることに気づいて下さい。つまり中胚葉は運動器を形成する必要があったわけです。その運動器系を形成するものは「骨格」と「骨格筋」です。
運動器系は逃避行動などのように瞬発的に行動することが必要だったり、呼吸運動のように持続的な運動を必要とすることもあります。従って、こうした運動に見合ってエネルギー、酸素を供給する装置が必要となります。それを循環器系が担当すると考えて下さい。また同時に循環器系を補助するためには循環する血液量をコントロールする装置、すなわち腎臓を中心とした尿路系が必要となり、隣接して存在する事になります。これでおわかりのように中胚葉からは運動器系、循環器系、腎尿路系が発生していることがわかるはずです。これらを正常に機能させ、動かすためには神経が必要になります。いま、中胚葉系の「動作」には2つの異なった動きがあることに気づかれませんか?どのように分類してみましょうか?つまり、自分の意識で「動かす」ものと、意識とは関係無く「動く」ものがあることを考えて下さい。これが「随意」「不随意」の別です。従って分布する神経は「随意神経」と「不随意神経(自律神経)」があることが理解できると思います。「呼吸」は意識して早くしたりできますが意識しなくても呼吸しているでしょう。脈拍は?心臓を意識的に止められはしませんが、「あせったり」すると鼓動が早くなり、落ち着いたら元に戻りませんか?しかし、発熱や呼吸困難によって脈拍が「早くなる」など自律神経との関係は非常に深いものがあります。加えて心臓には自身で動くことのできる能力が与えられ、それにより循環系を補佐する腎をもコントロールすることができるようになっています。ヒト心房性ナトリウム利尿ペプチド, HANP(human atrial natriuretic peptide)の存在が明らかにされていることがこれを証明しています。中胚葉の大部分である運動器では運動神経、知覚神経と言った随意神経が主となりますが、呼吸筋においては自律神経の関与が起こり、循環器系では全ての神経系との関連性が高くなるようにできています。考えてみたら確かに心臓は身体の中心にありますね。さて「骨格筋」という言葉を使いましたがこの筋肉は付着する骨の名前を挙げれば名前がわかるように命名されていることが普通です。そしてその部位により機能がより明確になるように命名されているとも言えます。
では、横隔膜はどうでしょう?骨格筋?発生学的には横中隔から発生する筋肉の膜になるのですが両側を膜に包まれ、それぞれに知覚神経は分布しています。しかしその動きを規定するものは横隔膜神経であり、きわめて随意性のある自律神経といえます。事実、横隔膜神経には運動線維と交感神経線維が含まれています。こうして中胚葉からは発生するものは生命活動の維持に必要な運動性を維持して、我々が「動物」であることを特徴的に示す部分であるといえます。
それでは内胚葉はといえば残る作業は酸素の体内への取込みと栄養の吸収になります。この部分はきわめて植物的な機能と考えられませんか?植物をimageしてみて下さい。地表の「葉」は酸素を取り込むのとは別の光合成を行い、酸素を放出するのですが、地下の「根」では水分や栄養の吸収を行っています。この機能ときわめて近いのが内胚葉の機能と考えて間違いはないと思います。すなわち肺での酸素の取込み、消化管での消化と栄養の吸収を司ることになります。従って内胚葉からは「呼吸器」と「消化器」が発生し、その機能をコントロールする神経は植物系とされる「自律神経」(交感神経、副交感神経)になるわけです。加えて、この呼吸器と消化器は同じ「原腸」(Gut)から発生していることを再認識して下さい。肺、器管は食道・胃と同じ前腸から発生しています。
かなり、飛躍した考え方ではありますが、以上のように考えることで人体の解剖を機能毎に大まかに理解しやすくなると思います。もう一度整理してみて下さい。「生きているってどうゆう意味があるのか?」と言うことを考えながら「私たちの体を動かしているのは酵素」であり、私たちの「体の環境は、その酵素のために調節してある」ということを!
かなり、飛躍した考え方ではありますが、以上のように考えることで人体の解剖を機能毎に大まかに理解しやすくなると思います。もう一度整理してみて下さい。「生きているってどうゆう意味があるのか?」と言うことを考えながら「私たちの体を動かしているのは酵素」であり、私たちの「体の環境は、その酵素のために調節してある」ということを!
III.診察の基本は患者さんの状態把握
幾多の試験を無事に合格して患者さんと接するようになってきた医学生は5年生になると「ポリクリ」、今はBSL(Bedside learning)に参加します。今までみたいに出席がうるさいわけでもなく、眠くなるような講義もない。「白衣」をまとい「若い先生」の風情が出てきます。現場のスタッフに混じって回診をしたり、外来に参加したり、検査、手術に参加します。ここで本来の「勉強」の意味を知ることになるはずなのですが、この時点で勉強はしなければ限りなくしないで済んでいきます。期間中殆ど、試験はないし質問を受けて間違えても何らペナルテイーはありません。
私が医学生だった頃からつい10年ほど前までのポリクリでは外来について指導医の先生の下に初診の患者さんの予診をとる(聴取)ことが最初の仕事でした。指導医の先生から初診の患者さん数人を医学生に振り分けて担当を決めてもらいます。そして、指導の先生が患者さんに「今日はこの医学生が最初にお話を聴かせていただきますからお願いします。」と紹介されます。患者さんの名前生年月日が書いてあるカルテを持って予診室で面談します。軽く挨拶をして「お話を聴かせていただきます。今日はどうされました?」大抵はあまり難しい疾患ではなく、顔にできた「?」のことも多いのですが、時には難しい「腹痛」のこともあるのです。ともかく私の時代では外国語を並べて書かなければいけなくて、いや、いけないと思わされていました。しかも「ドイツ語」なのです。ちなみに「腹痛」は英語ではabdominal painと記載しますがドイツ語では Schmerz des Abdomensなどと記載したり「腹部のSchmerzen」などと変な書き方をしたり、吐き気を伴う場合などは「mit Nausea」なんて書いたり、それこそ辞書片手に冷や汗をかきながら大変でした。そして私たちの書いたカルテを見ながら担当の教授が診察されるのを一緒に見学いたします。今考えますと患者さんは大変なことだったと思います。なんだかたどたどしく病状を訪ねられて、あげく教授の前にはSchreiber( シュライバーと教えられました。英語ではwritersの意味です。)と称する医師が2~3人、医学生が5人もいる前でおなかを見せたりすることになるわけですから緊張されたり、恥ずかしかったりしたことと思いました。そこで、教授が診察内容を口述されます。そうすると先ほどのSchreiberが内容を忠実にカルテに記載されます。しかも腹部なら腹部のシェーマを記載して日本語が無く全てドイツ語だったのを覚えています。何もわからない私は「すごいなーどうしてこんな風に書けるようになるのだろう」と思って感心していました。最近はこんな光景も少なく、使用する外国語も英語になりましたし、なによりもカルテはコンピューター画面で、しかもできるだけ日本語を使用するようになってきました。理由は「カルテの内容は患者さんにもわからなければいけない」「カルテは患者さんのものでもあるのだからカルテ開示したとき、わかるように」など「個人情報保護」などの要素の介入のためにこうした習慣は変更されてしまった訳です。問題はそのために医学生の多くが専門用語(外国語)に関し、訓練する場も関心を示すことも少なくなってしまったと言うことです。今自分がどのくらい英語、ラテン語で医学関連の単語が書けるか試してみて下さい。
さて、今はともかく、私が過去のポリクリと診察を経験した中で、最も印象的だったのが予診の最後に必ず聴かなければならない三項目があったことでした。それは「食欲:Appetit」「睡眠:schlafen」「排便:defecation」でした。だから、「食欲は変わりませんか?」「よく眠れますか?」「便通は順調ですか?」と聴くわけです。当時は「なんでこんなこと聴くのかな~?」と思っていました。これらは私たちが健康に過ごしていれば殆ど看過される事項で、全く気にならないことなのです。でも裏を返しますと、どこかに異常があったら決してよく眠れませんし、食欲が無くなります。確かに消化管や自律神経系に異常があれば便通には異常を来すはずです。しかも、これらの事項は私たちが毎日経験することですから、日々の生活を端的に表現する項目でもあることに経験上気がついてきました。皆さんもBSLで回診するときに患者さんに聞いてみて下さい。そしてもし、この3項目で異常を見つけたらその原因がどこにあるのか追求してみる事が臨床の原点であることを銘記して下さい。
私が医学生だった頃からつい10年ほど前までのポリクリでは外来について指導医の先生の下に初診の患者さんの予診をとる(聴取)ことが最初の仕事でした。指導医の先生から初診の患者さん数人を医学生に振り分けて担当を決めてもらいます。そして、指導の先生が患者さんに「今日はこの医学生が最初にお話を聴かせていただきますからお願いします。」と紹介されます。患者さんの名前生年月日が書いてあるカルテを持って予診室で面談します。軽く挨拶をして「お話を聴かせていただきます。今日はどうされました?」大抵はあまり難しい疾患ではなく、顔にできた「?」のことも多いのですが、時には難しい「腹痛」のこともあるのです。ともかく私の時代では外国語を並べて書かなければいけなくて、いや、いけないと思わされていました。しかも「ドイツ語」なのです。ちなみに「腹痛」は英語ではabdominal painと記載しますがドイツ語では Schmerz des Abdomensなどと記載したり「腹部のSchmerzen」などと変な書き方をしたり、吐き気を伴う場合などは「mit Nausea」なんて書いたり、それこそ辞書片手に冷や汗をかきながら大変でした。そして私たちの書いたカルテを見ながら担当の教授が診察されるのを一緒に見学いたします。今考えますと患者さんは大変なことだったと思います。なんだかたどたどしく病状を訪ねられて、あげく教授の前にはSchreiber( シュライバーと教えられました。英語ではwritersの意味です。)と称する医師が2~3人、医学生が5人もいる前でおなかを見せたりすることになるわけですから緊張されたり、恥ずかしかったりしたことと思いました。そこで、教授が診察内容を口述されます。そうすると先ほどのSchreiberが内容を忠実にカルテに記載されます。しかも腹部なら腹部のシェーマを記載して日本語が無く全てドイツ語だったのを覚えています。何もわからない私は「すごいなーどうしてこんな風に書けるようになるのだろう」と思って感心していました。最近はこんな光景も少なく、使用する外国語も英語になりましたし、なによりもカルテはコンピューター画面で、しかもできるだけ日本語を使用するようになってきました。理由は「カルテの内容は患者さんにもわからなければいけない」「カルテは患者さんのものでもあるのだからカルテ開示したとき、わかるように」など「個人情報保護」などの要素の介入のためにこうした習慣は変更されてしまった訳です。問題はそのために医学生の多くが専門用語(外国語)に関し、訓練する場も関心を示すことも少なくなってしまったと言うことです。今自分がどのくらい英語、ラテン語で医学関連の単語が書けるか試してみて下さい。
さて、今はともかく、私が過去のポリクリと診察を経験した中で、最も印象的だったのが予診の最後に必ず聴かなければならない三項目があったことでした。それは「食欲:Appetit」「睡眠:schlafen」「排便:defecation」でした。だから、「食欲は変わりませんか?」「よく眠れますか?」「便通は順調ですか?」と聴くわけです。当時は「なんでこんなこと聴くのかな~?」と思っていました。これらは私たちが健康に過ごしていれば殆ど看過される事項で、全く気にならないことなのです。でも裏を返しますと、どこかに異常があったら決してよく眠れませんし、食欲が無くなります。確かに消化管や自律神経系に異常があれば便通には異常を来すはずです。しかも、これらの事項は私たちが毎日経験することですから、日々の生活を端的に表現する項目でもあることに経験上気がついてきました。皆さんもBSLで回診するときに患者さんに聞いてみて下さい。そしてもし、この3項目で異常を見つけたらその原因がどこにあるのか追求してみる事が臨床の原点であることを銘記して下さい。
病棟で患者さんを診るとき
モニターをつけている患者さんの場合、モニターにとらわれていませんか?モニターは機械ですから正確です。正確だからこそ装着に不都合があってもそのまま情報を流します。そしてセットしたアラームが「ビービー」と、怒鳴っているのをよく見かけます。慣れとは恐ろしいもので何時しかそれは当たり前のようになってきます。そうすると「いったい何のためにモニターをセットした」のかわからなくなるような気がします。でも、反論しますよね、夜間看護師が少ない時間にはこれがなかったら「心配で、心配で重症患者さんなんか受け持てません」確かに、夜間は患者さん、特に小児では静かに(?)していることが多く、モニターの雑音も聞くことが少なく正確に心拍を「音」として伝えてくれます。最近のモニターは一般病棟での使用でも心電図のみでなく呼吸のパターン、酸素飽和度も知らせてくれます。だから、訪室しなくても患者さんのVital Signは概ね把握することが可能になります。現代の発展してきた医療は、情報社会の中で漏れることなく多数の情報に囲まれて管理するようになってきています。いや、それなくしては医療の信頼する失うことになるとさえ思われる状況にさらされています。だから、医師も看護師もいや、患者さんや家族でさえ数字で患者さんの状態を語ることになる訳です。形態学的な表現や、理学的診断のもつ主観的な曖昧さは、たとえそれがきわめて正確に患者さんの病状を言い表したとしても数字の持つ絶対的な客観性に優ることがないと考えられるようになってしまっていることに気づかねばなりません。前述しましたようにモニターでは装着するという部分で「人が行う行為」を要しています。同時に不確実な「Man Machine Interface」が情報伝達を不安定にしていることを自覚しなければなりません。従って確実に状況を把握するためには訪室して「確認」しなければいけません。それに加えて問題なのは酸素投与をして酸素飽和度のモニターをしている患者さんの管理で、何時しか「酸素飽和度は98%以上に保つ事だけが肝要」と思ってしまうことではないでしょうか。つまり、酸素飽和度が目標とする98%を下回ったので投与する酸素量を増やしてモニターアラームが鳴らないようにして管理し手しまうことです。本来は訪室した際に「どうして酸素飽和度が低下したのか」を「診断」することが必要なはずです。もちろん酸素だけを増やす看護師さんは見えないと思います。しかし、気道吸引のみではなく、視診による患者さんの表情、手指、口唇の色、鼻翼の動き、胸郭の動きを見ることによる呼吸の状態の把握や呼吸数の増減の把握、触診による心拍数の増加、聴診による呼吸音の変化、心音の変化を診ていればもっと何かつかめるのですが、そこまでを要求できないのかも知れません。酸素飽和度が低下することは、当たり前ですが酸素が血液中に溶け込みにくくなっていることですから(1)気道から酸素が肺胞まで来ていないのか、(2)肺胞レベルで溶け込みにくい状態があるのか、(3)心臓の中で静脈血が混じっているのかという状態が想像されます。気道に問題があれば呼吸の形態に変化が来ますし、呼吸音にも異常が生じます。心臓に異常があれば心雑音が聞かれるでしょう。それぞれの原因によって素早い対応が患者さんを救うこともあると思います。何よりも苦しい時間を少なくできることもすばらしいのではないでしょうか?また医療者自身、自分の職業性の向上に満足感を感じられることと思います。どんなことでも知識が増えること、自分でそれを見いだすことは喜ばしいものと思います。
モニターをつけた患者さんの管理では「装着の必要性があって使用する」ことを確認することで、不要と判断できれば早く外すことで余計な仕事が増えないようにできます。
モニターをつけた患者さんの管理では「装着の必要性があって使用する」ことを確認することで、不要と判断できれば早く外すことで余計な仕事が増えないようにできます。
解熱剤、鎮痛剤の指示
これも普通に外科領域でみかける指示です。私も昔は、ずいぶん指示を出させていただきました。「発熱38℃または38.5℃以上で・・・・使用」「疼痛時・・・・投与」など、手術後はともかく入院直後にも当たり前のように指示を求められた気がします。確かに、私が卒業したばかりの頃は医師とのコンタクトがきわめて困難な状況でした。今のように携帯電話はおろかポケットベルすらなかったわけです。診療科毎に当直者はいるのですが緊急処置や手術など、または廊下を歩いていると連絡がつきません。夜間に2人夜勤をしている看護師さんにはまどろっこしいことこの上ありません。ところが、最近は担当医に簡単に連絡がつきます。それなのに意外に簡単に指示通りの行為が行われています。「指示されたとおりしているのだから・・・」と言われれば、その通りです。でもちょっと待って下さい。「痛いから、痛み止め」「熱が出たら解熱剤」「咳が出たら鎮咳剤」「下痢なら止痢剤」あげれば限りないほど出てくる症状と薬剤名が示すように医療のプロの現場でもこうした治療手段が平気で短絡的に行われている部分があるのではないでしょうか?これらは全て「対症療法」の典型です。もちろん対症療法というものを全て否定するわけではありませんが、「熱が出たら解熱剤投与」を「可」とする裏には「その熱は原因が手術侵襲など明らかで一時的な解熱は患者さんにとって有意義である」との判断があってなされるものであることを忘れてはいけません。日中にはなにも異常がなかった患者さんが夜間に突然38℃になったからと言って、「入院時にあった指示を見て解熱用の坐薬を挿肛して朝まで経過を見た。」というのはいかにも乱暴な話です。しかし、中にはOn Call担当医の中には報告を受けても「それなら解熱剤使って朝まで様子見て」と電話越しに指示する人が多いのも事実です。私などは新人の頃、何もわからなかったのもありますが、日中は看護師さんがいつもオーベン*(Oben)の先生に指示を仰ぐので「自分も何かしてみたい」といつも思っていました。だからオーベンの先生が帰宅する夜間を待って看護師さんが何か聞いてくれないか待っていたのを覚えています。早い話が実は最初のうちは聞かれてもあまり正確に判断できないので、患者さんの様子を見に行って、そしてオーベンの先生に電話して自分が指示を聞くのを繰り返していた訳なのですが・・・。看護師さん、オーベンの先生や何よりも患者さんに迷惑をかけたような気もします。しかし、その経験が患者さんを診ないで「薬を使うこと」の怖さを感じさせてくれた気がします。最近の「若い先生」は国家試験も難しく、それをパスしてくるのですから「勉強ができて優秀」なのですぐに本を見て薬用量を計算して投与できます。でも、ちょっと待って下さい。その投薬の決定根拠そのものが本当に適切かどうかの判断こそが重要なことを再度認識して欲しいものです。データーだけを見て、看護師さんの報告だけを聞いて患者さんのそばに行かないのは「臨床」ではありません。術後の鎮痛薬も本当はいらなく過ごせることもあるかも知れません。手術後、自分がどうなるのか不安な状態で迎えた夜はつらいものでしょう。ある意味、眠れなくて当然です。ちょっとした痛みが気になるものです。「おなかが痛い」と言っていた患者さんがドレーンの固定テープを貼り替えただけで痛みが無くなるなどと言うことはよくあることです。よく呼吸管理も含めて術直後は枕を低くしてあったりしますが、腹部の創部では過緊張で疼痛が強くなります。覚醒が進んだ後は少し高くして上げることで創痛が軽減することもよくあることです。みんなそうして学習して行くべきではないでしょうか。