設立の理念
藤田学園創設者 故 藤田啓介 先生
藤田学園保健衛生大学(当時;現・藤田医科大学)は、医学部増設の際、次の理念と目的をもって、本学独自のカリキュラムには総合医学(Comprehensive Medicine、略称:CM)を高学年必須科目として組み入れ、多様な講座編制には時代と社会の先端をゆくプロジェクト・チーム研究部門からなる総合医科学研究所(略称:総医研;Institute of Comprehensive Medical Science、略称:ICMS)を付置研究機関として開設した。
本学のCMの理念は、1948年、Iago Galdstonが提唱したComprehensive Medicine (What is good service? Medical Annals of the District of Columbia, 18, 2, 1949)とは本質的に異なる。Galdstonのそれは、論文タイトルからも明らかなように、英国のsocial medicineの一部門である。本学のそれは、専門科目の知識が加速度的に増加し複雑難解になって、必然的に細分化した医学の基本的知識を包括して、患者をwhole man and not part of himとして診療し学究する医学である。
CMは、specific medicineに対するgeneral medicineではなく、患者の病気をthe whole manのそれとしてcomprehend, understandしようとする医学、すなわち学園創立以来のthe whole man education(全人教育)につながるthe whole man medicine(全人医学)ともいえよう。このCMの発想は、臓器別に分化したthe parts of whole manを診療し学究する専門医に、医学における分化と総合の両面性、reversibilityの重要性をアピールしようとすることにある。「病気を治して病人を死なせる」「枝をためて木を枯らす」ことへの不断の配慮とプライマリィ・メディカル・ケアの高いレベルの教育がCMの第一目標である。
第二に、基礎医学と臨床医学の分業システムを徹底することである。基礎医学と臨床医学の研究室の交流を盛んにし、さらに、特定の研究部門のなかで、生命科学者、基礎医学者と臨床医学者がともに研究に従事すれば、当然、研究のレベルは高まり、また基礎的新知見は、すみやかに臨床に応用できよう。
臨床医学の各講座が臨床に徹底して高いレベルを目ざしつつ、一方では基礎医学に関心を持つということは、診療の片手間で不完全な基礎的研究に手出しすることではない。基礎医学者の臨床への手出しも、二兎追うもの一兎も得ずである。臨床医学教室での基礎研究を盛んにし、しかも、きわめて高いレベルにするためには、専門の基礎医学者ないし基礎科学者が直接、研究に当たることである。このような基礎研究と臨床研究の間の流通性の高いフレキシブルな関係は、そのまま、研究上の設備の共同利用などの研究のエコノミーにもつながる。
重要なことは基礎と臨床のフレキシブルな研究分業システムも、能力が高くしかも共同研究のルールを尊重できる人をえてこそ初めて実現可能なことである。グループの中では、閉鎖的な性格や秘密主義は共同研究に決定的にマイナスになると自覚する優秀な一流の指導者のもとに、若い人材が集まれば、画期的な研究が生まれるのは当然である。
他の研究グループとしのぎを削る場合はむろん、孫子の兵法通り「その謀を敵に漏らさず」である。同時にまた、研究という挑戦的な仕事において、研究所の戦意と戦力を喪失させる不平分子、撹乱分子が不当に介入すれば、これを排除する覚悟と勇気がなければならない。研究と教育は両々あいまって向上するもので、良循環の回路にのせるためには、まず悪循環を絶つことである。
研究所のシステムをよく動かせるには、各研究部門の教授はむろん、スタッフのすべてが解放的でフランクであり、恐るべき競争に耐えつつ、しかも自己をよく抑えて、少なくともグループのなかでは他を助けるというフロンティア・スピリットが大切である。優秀な研究者の育つところには、必ずよい教育がある。
大学における教育は、新聞のニュースのような単なる知識の切り売りではなく、すさまじく進歩してゆく医学の生々しい研究の動向をそのまま医学生に伝えるものでなければならない。
それにもかかわらず、医学部のカリキュラムは、半世紀にわたって完全に硬直したままである。これは日本の医学教育の異常な実態であって、大学が独自に米国のウェスターン・リザーブ大学医学部のような抜本的改革を行うことは、わが国では私学といえども許されない。
大学カリキュラム作成の基本態度は、日進月歩の医学の進歩を取り入れて変化に富む内容が、青年の知的好奇心をいやがうえにもそそるものでなければならない。一般教養、基礎、臨床のどの科目も遊離しないで、お互いの縦横の連繋が内容にまで及ぶものでなければならない。医学教育のすべての科目が強固な化学結合によって、ひとつもオーガニック・マトリックスになることが望ましいが、これは医学の現状として不可能であろう。
医学は、依然として神秘的な生命科学の底知れぬ大河をはさんで、臨床医学と基礎医学(一般教養を含む)が両岸にテリトリーをわかち、さらに各科、各科目がセクト化している。生命科学の大河の両岸にあって、同じ灌漑用水を受けている基礎医学と臨床医学の二つの分野に、必要な時期に必要な地点に橋を掛け渡すことは総合医科学にとって必須である。基礎医学各科目、臨床医学各科目の中間にあってプロフェッションを確立した学同分野、確立することが望ましい新講座に水路を導くことも緊急である。
本学園の医学及び医療にとって必須であり緊急な研究部門をプロジェクト・チームとして随時つくり、包括的に教育研究を賦活することを目的として、総合医科学研究所が医学部発足時に設立されたゆえんである。
本研究所の基本方針を要約すれば、次の通りである。
上記の「開設の理念、目的及び基本方針」は、総合医科学研究所の開設(昭和47年 [1972年])に際しての所信を述べられたものである。
CMは、specific medicineに対するgeneral medicineではなく、患者の病気をthe whole manのそれとしてcomprehend, understandしようとする医学、すなわち学園創立以来のthe whole man education(全人教育)につながるthe whole man medicine(全人医学)ともいえよう。このCMの発想は、臓器別に分化したthe parts of whole manを診療し学究する専門医に、医学における分化と総合の両面性、reversibilityの重要性をアピールしようとすることにある。「病気を治して病人を死なせる」「枝をためて木を枯らす」ことへの不断の配慮とプライマリィ・メディカル・ケアの高いレベルの教育がCMの第一目標である。
第二に、基礎医学と臨床医学の分業システムを徹底することである。基礎医学と臨床医学の研究室の交流を盛んにし、さらに、特定の研究部門のなかで、生命科学者、基礎医学者と臨床医学者がともに研究に従事すれば、当然、研究のレベルは高まり、また基礎的新知見は、すみやかに臨床に応用できよう。
臨床医学の各講座が臨床に徹底して高いレベルを目ざしつつ、一方では基礎医学に関心を持つということは、診療の片手間で不完全な基礎的研究に手出しすることではない。基礎医学者の臨床への手出しも、二兎追うもの一兎も得ずである。臨床医学教室での基礎研究を盛んにし、しかも、きわめて高いレベルにするためには、専門の基礎医学者ないし基礎科学者が直接、研究に当たることである。このような基礎研究と臨床研究の間の流通性の高いフレキシブルな関係は、そのまま、研究上の設備の共同利用などの研究のエコノミーにもつながる。
重要なことは基礎と臨床のフレキシブルな研究分業システムも、能力が高くしかも共同研究のルールを尊重できる人をえてこそ初めて実現可能なことである。グループの中では、閉鎖的な性格や秘密主義は共同研究に決定的にマイナスになると自覚する優秀な一流の指導者のもとに、若い人材が集まれば、画期的な研究が生まれるのは当然である。
他の研究グループとしのぎを削る場合はむろん、孫子の兵法通り「その謀を敵に漏らさず」である。同時にまた、研究という挑戦的な仕事において、研究所の戦意と戦力を喪失させる不平分子、撹乱分子が不当に介入すれば、これを排除する覚悟と勇気がなければならない。研究と教育は両々あいまって向上するもので、良循環の回路にのせるためには、まず悪循環を絶つことである。
研究所のシステムをよく動かせるには、各研究部門の教授はむろん、スタッフのすべてが解放的でフランクであり、恐るべき競争に耐えつつ、しかも自己をよく抑えて、少なくともグループのなかでは他を助けるというフロンティア・スピリットが大切である。優秀な研究者の育つところには、必ずよい教育がある。
大学における教育は、新聞のニュースのような単なる知識の切り売りではなく、すさまじく進歩してゆく医学の生々しい研究の動向をそのまま医学生に伝えるものでなければならない。
それにもかかわらず、医学部のカリキュラムは、半世紀にわたって完全に硬直したままである。これは日本の医学教育の異常な実態であって、大学が独自に米国のウェスターン・リザーブ大学医学部のような抜本的改革を行うことは、わが国では私学といえども許されない。
大学カリキュラム作成の基本態度は、日進月歩の医学の進歩を取り入れて変化に富む内容が、青年の知的好奇心をいやがうえにもそそるものでなければならない。一般教養、基礎、臨床のどの科目も遊離しないで、お互いの縦横の連繋が内容にまで及ぶものでなければならない。医学教育のすべての科目が強固な化学結合によって、ひとつもオーガニック・マトリックスになることが望ましいが、これは医学の現状として不可能であろう。
医学は、依然として神秘的な生命科学の底知れぬ大河をはさんで、臨床医学と基礎医学(一般教養を含む)が両岸にテリトリーをわかち、さらに各科、各科目がセクト化している。生命科学の大河の両岸にあって、同じ灌漑用水を受けている基礎医学と臨床医学の二つの分野に、必要な時期に必要な地点に橋を掛け渡すことは総合医科学にとって必須である。基礎医学各科目、臨床医学各科目の中間にあってプロフェッションを確立した学同分野、確立することが望ましい新講座に水路を導くことも緊急である。
本学園の医学及び医療にとって必須であり緊急な研究部門をプロジェクト・チームとして随時つくり、包括的に教育研究を賦活することを目的として、総合医科学研究所が医学部発足時に設立されたゆえんである。
本研究所の基本方針を要約すれば、次の通りである。
- 本研究所は、旧態依然たる医学部、衛生学部(現医療科学部)カリキュラムに生じた間隙を埋め、基礎医学、臨床医学を包括し一体化を図る。
- 本研究所を構成する研究部門は、人類社会が最も恐れ、医学に最も期待する疾病の予防と診断と治療にかかわる先進の生命科学に属する。
- 本研究所の各研究部門は、基礎科学、基礎医学、臨床医学との共同研究を推進し、他大学医学部門、医学部内講座間のセクショナリズムを打破するため、主任教授のテーマに共同研究を希望する有能な若手ゲスト・ワーカーに門戸を可及的に開放する。
- 本研究所の各研究部門は、開講時の部門整備費及び共同利用大型機器を除き、研究経常費を原則として、学外科学研究費に依存する。
- 本研究所を構成する研究部門は、すべてプロジェクト・チームであり、人材を集めて目的の遂行にあたり、目的達成後、人材を得られぬ場合には解散する。
上記の「開設の理念、目的及び基本方針」は、総合医科学研究所の開設(昭和47年 [1972年])に際しての所信を述べられたものである。